リビングストーンとスターリン18世紀ごろ、東アフリカでは奴隷貿易が最も盛んであった時代。 一人のイギリス人探検家が、奴隷解放を訴えて立ち上がった。 東アフリカタンザニアを中心とする奴隷貿易ルートを辿って開放を行った男がいた。 その人の名はリビングストーン。 ↑ 奴隷解放を行うリビングストーン 18世紀の東アフリカはまだまだ未開の暗黒大陸と呼ばれていた時代。 この男の残した業績はすさまじい。 ザンベジ川上流の雲を作る場所と呼ばれていたビクトリアフォールスの発見。 ↑ リビングストーンが発見したといわれている『ビクトリアフォールズ』。もちろん現地の人たちは昔っから知ってました♪ ナイル川の源流を辿る探検。 ビクトリア湖一周。 そして、奴隷貿易のルートを辿り、タンザニア奥地のタンガニーカ湖へたどり着く。 当時はその名の通り、暗黒大陸。 本物の探検だよ。 どこかのTV番組で放映しているのとは大違いの時代だ(笑) 俺が思うに。 彼は、アフリカに魂を奪われた最初のヨーロッパ人だったんだと思う。 最後リビングストーンは、タンガニーカ湖の辺で暮らし。 ↑ タンガニーカ湖の辺で暮らすリビングストーン。このリビングストーンが木陰にしているマンゴーの木は今ではないが、その子供の木が育っている。 スターリンという、アメリカ人新聞記者兼探検家が、当時のビクトリア英国女王が出した、『リビングストーンを見つけて来い』という任務を全うして、この湖の辺であったにもかかわらず。 リビングストーンは、帰国を拒否したのだ。 ↑ リビングストーン捜索の探検を行ったスターリン そして彼は、病に倒れかえらぬ人となる。 リビングストーンの遺体は、当時彼の元で働いていたアフリカ人の手によって、丁寧に防腐処理され、タンガニーカからダルエスサラームの港までの2000キロメートルを、本当のアフリカ人ボランティアの手によって運ばれ、英国へと帰ったのだ。 リビングストーンは、アフリカに魂を奪われた最初のヨーロッパ人だったに違いない。 そして、そんなアフリカに魂を奪われた人をアフリカ人がないがしろにするわけがないのだ。 今でもリビングストーンの名は受け継がれている。 タンザニアでは、白人は『ムズング』と呼ばれ、蔑称の意味がはいっているんだけれども。 それは奴隷貿易のときに、こてんぱんにやられちゃっていたからなのだ。 そんな中で、リビングストーンの名を知らないタンザニア人は一人としていない。 そのくらい、今でも愛され続けているリビングストーン。 偉大な人がいたもんだ。 |